最高裁判所第三小法廷 平成8年(行ツ)249号 判決 1999年1月29日
愛媛県伊予三島市中曽根町一六三八番一
上告人
井上忠彦
右訴訟代理人弁護士
岡義博
愛媛県伊予三島市中央五丁目九番四五号
被上告人
伊予三島税務署長 上原正一
右指定代理人
山岡徳光
右当事者間の高松高等裁判所平成七年(行コ)第五号所得税更正等取消請求事件について、同裁判所が平成八年八月二九日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人岡義博の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文)
(平成八年(行ツ)第二四九号 上告人 井上忠彦)
上告代理人岡義博の上告理由
一 本件訴訟は、一審において争点1(本件為替差益の帰属者)、争点2(本件支払利子の控除)が争われたが、上告人(原告)の主張が容れられず、二審において争点3(信義則違反)が加わったが、これについても上告人(控訴人)の主張は容れられなかった。二審においては、争点1、2については、一審判決をそのまま是認している(二審判決三丁裏)。しかし、以下に述べる理由から、二審のこれらの判断はいずれも誤りであり、上告の理由がある。
二 二審判決には次に述べる通り判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背(民訴法三九四条)あるいは理由不備の違法(民訴法三九五条一項六号)がある。
三 旧所得税法三六条適用の誤り
1 争点1(本件為替差益の帰属者)に関して一、二審判決は、権利確定主義(旧所得税法三六条の収入金額の確定時期の問題)の解釈を、「権利確定主義でいうところの『権利等の確定』とは、単に当該権利等が債権的に発生しただけでなく、権利等の性質、内容その他の諸事情からみて、権利等が具体的に実現する可能性が増大し、その蓋然性を客観的に認識できるようになった状態を意味するものと解される。」とする(一審判決一六頁)。
そして、本件為替差益の収入金額の確定時期について「本件為替差益は、高額に評価されていた外貨建債務を低額に買い入れた外貨をもって消滅させるため、その外貨を債権者に移転させることによって発生したものであるから、本件為替差益の権利確定時期は譲渡所得の収入金額の計上時期の取扱いに準じて判断するのが相当である」という(一審判決一七頁)。
そして、この立場から、「譲渡所得の収入すべき権利の確定時期は、原則として、当該所得の起因となる資産の引渡しがあった日によるものと解されるので(所得税基本通達36―14参照)、本件為替差益の権利確定の時期も、井上忠三が本件先物為替予約によって低額で買い入れた外貨を、原告が債権者たる広島銀行今治支店に対し、本件インパクト・ローンに係る元本債務の弁済として、元本相当額の外貨(米ドル)を引き渡した時と、認めるのが相当である」とする(一審判決一七~一八頁)。
そして結論として「本件為替差益は、本件インパクト・ローンに係る元本債務が返済された昭和六三年七月六日に、収入すべき権利として確定し、返済をした原告の昭和六三年分の所得に帰属したものと認められる」とする(一審判決二〇頁)。
2 しかし、外貨を債権者に移転するというのはもともと借入をしていた銀行への債務の弁済にすぎない。本件では三六〇万米ドルを銀行から借り入れ、三六〇万米ドルを銀行に返済しているにすぎない。その実態は債務の弁済であって、一、二審判決が言うような資産の譲渡に準じる実態はない。従って、権利確定時期を譲渡所得の収入金額の計上時期の取扱いに準じるのは誤りである。利益発生の根拠は先物為替予約にある。
本件為替差益の発生時期につき、通達に根拠を求めるなら、それは一時所得の収入時期に関する通達(所得税基本通達三六―一三)が根拠となる。基本通達三六―一三によると「一時所得の総収入金額の収入すべき時期は、その支払を受けた日によるものとする。ただし、その支払を受けるべき金額がその日前に支払者から通知されているものについては、当該通知を受けた日により、令第一八三条第二項に規定する生命保険契約等に基づく一時金のようなものについては、その支払を受けるべき事実が生じた日による」とされている。この但書きの前段は事前に収入が確定している場合を規定しているのであるが、インパクト・ローン借入時の先物為替予約によって為替差益が事前に確定している点で、経済実態が類似していると考えられるのである。
これを本件為替差益に当てはめると「当該通知を受けた日」とあるのは「先物為替予約をした日」となろう。そうすると、権利確定の日は、昭和六二年七月二日となる。従って、本件為替差益の帰属者は井上忠三ということになる。
四 旧所得税法九条一項二〇号解釈の誤り及び理由不備の違法
1 争点1に関して、二重課税(旧所得税法九条一項二〇号の解釈)の問題について、一、二審判決は、「そもそも、相続税は相続によって取得した財産に対して課税するものであり、所得税は実現した所得(価値の増加)に対して課税するものであって、両者は課税対象を異にしている。相続税法における取得財産額から控除すべき債務額の評価の問題と、所得税法における為替差益が所得として実現する時期の問題とは、次元を異にする問題であり、権利確定主義は、所得税においては問題となるが、相続税においては直接問題とはならない。所得税法九条一項二〇号が、『相続により取得するもの』を非課税としているのは、相続という同一原因によって相続税と所得税法とを負担させるのは、同一原因により二重に課税することになるのでこれを回避し、相続税のみを負担させるという趣旨であり、相続後に実現する所得に対する課税を許さないという趣旨ではない」とする(一審判決二九~三〇頁)。
2 しかし、相続額の課税評価について、他方では一、二審判決は、「ところで、相続税の課税価格は、相続等により取得した財産の価格から、被相続人の債務で相続開始の際現に存するものなどを控除した金額であり(相続税法一三条)、取得財産から控除すべき債務は確実と認められるものに限られ(同法一四条一項)、その債務の金額は相続等による取得時の現況によって評価しなければならない(同法二二条)。そして、原告が井上忠三を相続した時点においては、本件先物為替予約が有効なものとして存在し、本件インパクト・ローンに係る債務を返済するには、少なくとも本件為替レートに基づく円換算額を支出しなければならない状態にあった。従って、本件インパクト・ローンの弁済期に弁済すべき債務の金額として確実と認められる金額は、返済期日の予約為替レートで本件インパクト・ローンの元利金合計を円換算した金額ということになり、被告が相続税額の計算上、本件インパクト・ローンに係る元本・利息金債務を、本件先物為替予約に基づく為替レートによる円換算額の相続債務として評価したことについては、何ら違法な点はないというべきである」としている(一審判決二八~二九頁)。
これは論理的には、インパクト・ローン返済により以前の相続段階において為替差益の存在を前提として認めているのであり、為替差益の発生時期に関する所得税法三六条の解釈と矛盾するものである。一方で為替差益の存在を相続時に認めながら、更にインパクト・ローン返済時に為替差益の発生を認めるのであれば、当然二重課税となるはずである。この意味で、二重課税を否定する一、二審判決は論理矛盾を犯しているものである。また、一、二審判決が言うように、「次元を異にする問題」という一言では説明がつかないのであって、明らかに理由が不備である。
五 旧所得税法三七条解釈の誤り及び理由不備の違法
1 争点2(支払利子の控除)について、一、二審判決は、旧所得税法三七条の解釈として次のように言う。「所得税法三七条一項は、不動産所得・事業所得又は雑所得の金額の計算上必要経費に算入すべき金額については、別段の定めがあるものを除き、『当該総収入金額を得るため直接に要した費用の額』、及び『これらの所得を生ずべき業務について生じた費用』の額と定めている。そして、本件為替差益は雑所得に該当するところ、雑所得に該当する為替差益については、税法上『別段の定め』は存しない。
従って、本件支払利子が本件為替差益の必要経費に該当するためには、本件支払利子が、本件為替差益を所得として実現するために、『直接要した費用』に当るか、又は、本件為替差益との関係で、『所得を生ずべき業務について生じた費用』に当るかの、いずれかでなければならない。」(一審判決三五~三六頁)
そして、この考え方に基づき本件のインパクト・ローンについては、次のように判断する。
「これを本件についてみるに、前記1の認定によると、本件インパクト・ローンは、井上忠三が株式購入資金として借り入れた初回インパクト・ローンの借換分であり、本件為替差益を得るために本件インパクト・ローンを借り入れたものとは認められないから、本件支払利子は、本件為替差益を所得として実現させるために『直接要した費用』にも、本件為替差益との関係で『所得を生ずべき業務について生じた費用』にも当らない。
従って、本件支払利子が、本件為替差益の必要経費に該当するものとは認められない。」(一審判決三六頁)
2 しかし、一、二審判決の本件へのあてはめは明らかに理由不備である。本件での雑所得の金額は借換によって得られたものではなく、借換をしたインパクト・ローンについては借入時と返済時の円貨への換算レートの違いから生じた利益である。つまり、課税対象となる利益については本件のインパクト・ローンだけ見ればよいわけである。ところが、一、二審判決は右の通り、初回インパクト・ローンと借換したインパクト・ローンの関係を指摘した上で費用にあたらないと判断をしている(「初回インパクト・ローンの借換分であり」と言っている)。理由不備であることは明らかである。
本件では借換したインパクト・ローンと先物為替予約の関係を合わせて考慮する必要がある。上告人(井上忠三)はインパクト・ローンと先物為替予約を合わせて利用している。ここでは先物為替予約から得られる利益とインパクト・ローン借入による利子の支払分を合わせて実質金利負担として考慮している。この実態を直視すれば、インパクト・ローンの支払利子は当然に為替差益を得るために「直接要した費用」ないし「所得を生ずべき業務について生じた費用」と考えられるはずである。
六 経験則ないし採証法則違反
1 争点3(信義則違反)について、二審判決は、「証拠(甲四、乙一三~一五、一六の1~4、一九)によれば、控訴人に対する昭和六三年分の所得税に関する税務調査は、鎌田国税調査官を担当者として平成二年四月に開始され、甲四の書面は、同調査官が、平成二年五月二三日、右調査の過程で控訴人側の税理士に説明する際に控訴人側の主張内容をメモ書きしたもの(乙一五)に控訴人が書き加えた書面であると認められ、右認定を左右するに足りる証拠はないから、控訴人の主張はその前提を欠くし、他に、被控訴人が報復を目的として本件インパクト・ローンにつき過少申告加算税を賦課したことをうかがわせるべき証拠もない。」という。
2 これは調査官であったと称する鎌田潤の陳述書(乙第一三号証、第一九号証)を全面的に認めての事実認定である。しかし、この陳述書の署名は自署ではなく、ワープロ打ちした活字にすぎない。真実鎌田潤によって作成された陳述書であるかどうかを甲第四号証、乙第一五号証(鎌田が自署したと二審判決は言う)と対比しようもない。公務員が真実を全て語るとは限らないことは近時の薬害エイズ問題で明らかになったところである。公務員作成の文書だという主張があるからと言って、そのまま鵜呑みにすることは経験則ないし採証法則に違反するものである。かえって、矢野税理士作成にかかる甲第一一号証の署名はワープロ打ちの活字ではなく本人の自書によるものであり、一定の社会的地位のある税理士が作成したものとして信用性の高いものである。そしてその内容は明らかに甲第一一号証の方が真実性がある。
また、二審判決が甲第四号証、乙第一五号証の作成時期を平成二年五月二三日と認定している点は、明らかに他の証拠と矛盾する。即ち、甲第四号証、乙第一五号証と同じ機会に作成された甲第九号証の雑所得金額が一四、九九三、一三五円とされていることと、乙第一号証の確定申告書(平成元年三月一五日受付)の雑所得金額が同じく一四、九九三、一三五円とされていることを合わせて判断すれば、甲第四号証、乙第一五号証は平成元年四月一七日(平成元年の税務調査の際)に作成されたとみるのが自然であって(平成元年六月二九日受付の修正申告書(乙第二号証)では既に雑所得金額は一五、六三二、〇三五円に修正されている)、二審判決はこの点でも経験則ないし採証法則に違反している。
以上